配布小冊子に掲載され、「うみねこのなく頃に羽」に収録された「朱志香と殺人扇風機」というショートストーリーがあります。
これはオマケの小話的なエピソードでありますが、この話にはうみねこ本編を理解するために有用な手掛かりが幾つも含まれています。
そこで、ここではうみねこの世界構造を意識しながらそのポイントを順に紹介したいと思います。

1.脚本とゲーム盤

>「この脚本にかける魔法はスゴイのよー?!何とね、この脚本が実際に…、」
(朱志香と殺人扇風機.ラムダデルタ)

このエピソードのメインギミックは朱志香の書いた演劇の脚本が、それを読んで劇を試しに演じようとした戦人と紗音、そして朱志香を巻き込み、脚本に書いてあることが具現化する世界を生み出す、というものです。
これは、うみねこ本編で安田紗代が書いて流したメッセージボトルや、八城十八が書いた偽書(それらを合わせて「メッセージボトルの物語」と呼ぶことにします)に書いてあることが具現化した世界がゲーム盤となったという構造のヒントとして捉えることができます。


2.書かれたものとゲーム盤描写の違い

>「私は書いてない! こんな……、殺人扇風機にみんなが飲み込まれて死んでしまうなんて、どこに
も書いてないッ!!」

(朱志香と殺人扇風機.朱志香)

ここで、朱志香の書いた脚本がどのようなものであったかに注意してみると、この脚本は元々朱志香の学校の文化祭で演劇をやるために作られたものであり、その文体は簡素な形式になっています。
一方、朱志香と戦人、紗音が体験した物語の描写は朱志香視点でより詳しい描写がされたものとなっています。
具体例を上げると、

>"山羊たちはシャボン玉になって消えてしまった"
と、紗音が書き込んだ部分は

>その時、奇跡が起こった。何と、山羊たちの大群が、一斉にぶわっと弾けて……、何と、無数のシャボン玉に変わってしまったのだ。
>私は幻想的なシャボン玉の風の中にいて。……べしゃべしゃべしゃと、石鹸の汁塗れになるのだった。

という結果として描写されています。

また、更に極端な例として、この物語のオチである「FAN」と書かれただけの文字からは、殺人扇風機にみんなが飲み込まれて死んでしまうという描写が濃密に描かれています。

このように、文字として書かれたものとゲーム盤というファンタジー世界で展開される物語には違いがある、という読み方が可能です。
そしてその違いを生み出しているのは、本来書かれていなかった朱志香視点の描写が展開されたような「読み手の主観の影響」と、"殺人扇風機"という執筆者の朱志香も想定していなかった読み方を行ったラムダデルタと言う存在のような「上位存在の主観の影響」の2点、すなわちEP6風に言う「朗読」であると考えられます。


3.メッセージボトルの物語の解釈への拡張

文字で書かれたものとゲーム盤の物語に違いがあるという話を「メッセージボトルの物語」の話に当てはめると、

・メッセージボトルの物語を読んだ人間の主観を含めたものがゲーム盤の物語
・さらにその物語を上位から解釈する存在によって生まれる物語がメタ世界の物語


と本編の物語の多重構造の解釈として見ることが可能です。
これは少し分かりにくいので具体的に言い換えると、

・安田紗代が書いたメッセージボトルの物語を読んだ八城十八の主観を含めたものがEP1、2のゲーム盤の物語
・その物語を上位から解釈するメタベアトとメタ戦人によって生まれる物語がメタ世界の物語


と説明することができます。
この場合、メッセージボトルの物語にはメタ世界の物語が描かれていない、という解釈に繋がるのですが、その話は長くなるので割愛し別の記事に纏めたいと思います。


4.その他のヒント

ゲーム盤の物語構造に関する情報以外で印象的だった文章を纏めます。
いずれも本編と絡めた「深読み」の領域に近いものなので、お好みで解釈の足しにして下さい。

>物語は脚本通りに実行される。しかし、即座に赤ペンで修正することにより、物語を紙一重で変更できるらしい。

進行中の物語の変更はEP6のGMバトラも行っていました。また、変更点を記すと「赤き真実」を表す赤い文字として脚本に残るという点も面白いです。

>「物語の外を、修正なんて出来ない。」

展開を都合よく修正していくなどという都合の良いことは物語の外に対して行うことができません。
作中の現実世界で起きたことに対しての魔女の無力さを感じさせます。

>「あなたは王子様で、私を助けに来たんでしょう?! もう私を、ひとりぼっちにしないで…!!」
>殺人扇風機に飲み込まれるまでの、宙を落下する刹那で、……戦人は紗音を抱き締める。


これは戦人に恋心を抱いていた紗音のことを思い出すと切なくなるシーンです。
この物語も「最愛の魔女ベアトリーチェに捧ぐ物語」の中の一つなのでしょうか?

>F I N

FINを間違えてFANと書いてしまった物語はバッドエンドの物語でした。
言葉遊びを考えると、「I(愛)が無ければ(ハッピーエンドは)視えない」という隠れたメッセージがあるのか知れません。
我々の中の「うみねこのなく頃に」という物語には"FIN"と書かれているでしょうか?
”FAN”と書かれているとする読者の心境はラムダの台詞で見事に代弁されることになります。 

>「そのめちゃめちゃな脚本を書いたのは全てあんたよー?」


まとめ

以上のように、「朱志香と殺人扇風機」と言う物語は朱志香のドタバタコメディ調ストーリーとして楽しいだけでなく、本編のメッセージボトル、ゲーム盤、メタ世界の物語の解釈に役立つ手掛かりや、その他の様々な要素に対して深読み遊びが出来るような文章が盛り沢山です。
番外編の位置にあって注目していなかった人は、ぜひ一度この作品を読んで見ることをオススメします。