EP4で「メッセージボトル」というキーワードが取り上げられ、EP1、EP2の物語が何者かが流したメッセージボトルの物語であることが判明しました。
そして、EP6で初めて登場する「偽書」という概念によって、EP3以降の物語が八城十八の執筆した偽書であることが判明しました。
そこで読者は、「メッセージボトルの物語や偽書に書かれている範囲はゲーム内文章のどこまでか?」という問題に直面します。
読者がこれまで読んできたゲーム内文章全てがメッセージボトルの物語や偽書に書いてあるのでしょうか?
それとも、そこに書かれている物語はゲーム内文章の一部分だけなのでしょうか?

この考える事が難しい問題を考察の方針に従い、「98年現実世界の描写は全て事実」と言う前提から考察を進めていきます。

1.ゲーム内文章と執筆された文章の説明に関する食い違い


98年現実世界の描写を事実であると仮定すると、ゲーム内文章と執筆された文章の内容に食い違いがある箇所がいくつか見つかります。まずはEPごとにその箇所を整理します。

■EP1
> それでは、この物語は、右代宮真里亞の残したノート片の最後の一文で結ぶといたしましょう。
(中略)
>これを読んだあなた。どうか真相を暴いてください。
>それだけが私の望みです。
> 右代宮真里亞

(EP1.エンドロール)

>2つのワインボトルの中には、ノート片が何枚もぎっしり詰められていた。
>それは、右代宮真里亞を名乗る本人以外の何者かによる、事故前日から当日を日記風に記した膨大な手記だった。

(EP4.縁寿)

EP4で語られた情報によると、メッセージボトルに入っているのは右代宮真里亞を名乗る人物に執筆された日記風の手記か書かれたノート片ということになります。
このことから、EP1のエンドロールのナレーション部分それでは、この物語は、右代宮真里亞の残したノート片の最後の一文で結ぶといたしましょう。」から続く文章や、お茶会以降のパートは現実には書かれていないことを示しています。

■EP2
>「2つのボトルの中身は、どちらも事故前日から当日までを記した日記風の手記です。」
(EP4.大月教授)

EP2の物語はゲーム内文章では譲治と紗音の沖縄旅行から始まります。これは事故前日、すなわち1986年10月3日とは明らかに異なります。

■EP3
>特に、伊藤幾九郎の最初の偽書、「Banquet of the golden witch」は、九羽鳥庵で右代宮絵羽が難を逃れるまでを全て描いており、これこそ六軒島の真実ではないかとさえ囁かれ、ワイドショーでまで取り上げられたことがある…。
(EP6.縁寿)

EP3のゲーム内文章では絵羽が九羽鳥庵に行くところまでは描写されておりません。戦人が銃で打たれるシーンで終わっています。

■EP5
「私も驚いてるわ。……何が何だかさっぱりよ。それ以前に、何でベアトが蘇ってるのかさっぱりだわ。さっき読ませてもらったけど、……前回の物語の最後で、お兄ちゃんが真相に辿り着く直前に、死んで消え去ったんじゃなかったの?」
(EP6.メタ縁寿)

これはメタ世界の縁寿の発言ですが、現実世界で「End of the golden witch」を読んだ状態で幾子に面会した縁寿がEP5のゲーム内文章の最後の場面に対して「さっき読ませてもらった」と発言しています。
もしも現実世界でもその場面を偽書で読んでいたならば、「さっき」読んだと発現するのは不自然なので、現実世界の偽書にはベアトが死んで消え去る場面は書いていなかったと判断するのが妥当です。

■EP6
>彼女は鍵の掛かった引き出しから、分厚い何かの入った大きな茶封筒を出していた。
>中にはぎっしり、印字されたプリンター用紙が詰まっているようだった。
>……彼女の原稿を印刷したものだろうか。
>そして茶封筒には万年筆の達筆な字で、……「Dawn」と記されていた。

(EP6.縁寿)

これも直接の描写ではないのですが、メタ縁寿が「Dawn」の朗読を開始した直後のシーンはEP6のゲーム内文章の冒頭の場面、ヱリカと戦人の結婚式場とは違い、GM戦人がゲームを準備する場面でした。
これは現実に手渡された偽書とEP6のゲーム内文章は異なると判断するのが妥当です。


2.戦人の主観

メッセージボトルの物語はゲーム内文章では戦人が主人公であるかのように描かれ、地の文も基本的に戦人主観で進行していきます。
一方、EP4の説明ではメッセージボトルの物語は「右代宮真里亞を名乗る本人以外の何者かによる、事故前日から当日を日記風に記した膨大な手記」と説明されています。

これは無視できない食い違いで、もしも現実のメッセージボトルの物語に戦人主観での物語が書いてあれば、「右代宮真里亞の署名がありながらも右代宮戦人の主観で綴られる手記」という説明になる方が自然です。
また、これを書いたのが右代宮真里亞以外の人物であるという根拠が「筆跡が異なる」「量が膨大」だけでなく、「主観が右代宮戦人」も挙げられてしかるべきなのにその言及は作中にありません。

このことから、メッセージボトルの文章は戦人主観ではなく、真里亞主観、もしくは第三者主観である可能性が高いと推測できます。


まとめ

これらの根拠から、ゲーム内文章と作中現実に存在するメッセージボトルの物語や偽書の物語は完全に一致しないと考えるのが妥当と結論できます。
さらに今後はこの結論と根拠を元にして、今回触れなかった「メタ世界の物語」に関して考察を進めていく予定です。