「うみねこのなく頃に」のEP7の謎を一問一答方式で書いていきます。
(EP全体に関しての話のこちらの記事と合わせてお楽しみ下さい)

書籍「最終考察うみねこのなく頃に散」の「偽書作家テスト」を改変したものに加え、その他気になる点について書いていく予定です。
もし「こんなことが聞きたい」というような質問がありましたら、気軽にコメント欄に書き込んで下さい。

尚、この内容はあくまで「うみねこの読み方のひとつ」であることを予め宣言しておきます。
※6/16更新
■EP共通
Q.ベアトのゲームのミステリーの真犯人は?

A.犯人は「紗音、嘉音と同一の肉体を持つベアトリーチェという名の人物」です。
共通の共犯者である源次、熊沢、南條に加え、EP毎に異なる人物を買収し、共犯者としています。


■EP7について
Q.ベアトリーチェ殺人事件の犯人は?
A.「ベアトリーチェ殺人事件」とは「EP7のゲーム盤にベアトリーチェがいないという事件」という意味です。
ゲーム盤にベアトリーチェがいないのは理御が存在しているからなので、ベアトリーチェ殺人事件の犯人は理御だと言えるでしょう。
また、一つの肉体に宿る人格に注目すると、「理御の存在によってベアトリーチェの存在が認められない」という構図は、ベアトリーチェのゲーム盤においてベアトリーチェが「紗音や嘉音の存在を認めない」と紗音と嘉音を人格的に殺害する構図と同じ関係性が見られます。
この意味で、「理御がベアトリーチェをベアトリーチェのゲームのルールに従って殺した」と言うことが出来てしまい、ベアトリーチェ殺人事件の犯人は比喩的な意味ではなく、理御なのだと考えることが可能です。

Q.「戦人が1986年の六軒島に来なければ事件は起こらなかった」のはなぜ?
A.ヤス(安田紗代のことと定義します)が現在進行中の譲治との恋と子供が産めない体の問題に加え、6年前の戦人への恋心にどう決着をつけるかという問題が加わり、その問題に対する決断を碑文殺人事件という運命のルーレットに委ねてしまうことになったためです。
戦人が帰ってこなければ、自分で残りの問題に対する決断は行えていたということなのでしょう。

Q.戦人から紗音への手紙は本当になかった?
A.なかったと考えられます。
現実の戦人にも幻想世界の戦人と同様に「約束を忘れていた罪」があったと考えられます。それは、幻想世界で行われるゲームはベアトリーチェが戦人に罪を思い出させるという、現実で叶わなかったことを実現させる場として始められたと言えることから理解できます。
約束を忘れていた戦人にとって紗音は使用人の一人としての存在でしかないため、手紙を出す対象でなかったのでしょう。

Q.ヤスが1986年の六軒島で行おうとしていた計画とは?
A.碑文殺人事件を実際に起こし事件や碑文が解かれなけれは六軒島を爆発させて皆で心中するという計画です。
彼女はその計画を実行した結果に、自身の肉体に宿る紗音から譲治、ベアトリーチェから戦人、嘉音から朱志香の3つ恋心の内ひとつを選択する運命、自分が許され生きていくべきなのか、許されず死ぬべきなのかの運命、そして自身を人生を歪めた右代宮一族は死ぬべきなのか、死なぬべきなのかの運命を委ねています。

Q.理御とヤス、紗音、嘉音、ベアトリーチェの関係は?
A.金蔵とベアトリーチェ2世の子である理御と名付ける予定だった赤子は、夏妃に育児を拒否され崖から落とされて安田紗代(通称ヤス)として生きていきます。
安田紗代は福音の家で右代宮一族の使用人紗音として育てられます。しかし、要領が悪かった彼女は同僚からヤスと呼ばれ馬鹿にされます。ヤスは馬鹿にされる能力の低い自分と「紗音」を別の存在、優秀で自分と仲良くしてくれる同僚だと想像してその苦しい生活を耐えます。
その後、熊沢から「魔法」の概念を学んだヤスは魔女ベアトリーチェという想像上の友人を作って仕事に耐えながら生活し、徐々に成長していきます。
使用人としての仕事を会得し、十分成長できたヤスはもう優秀な紗音を別の人間だと思う必要がなくなり、さらに魔女として生きていく自分を想像しながら、自分自身が紗音で、未熟だったヤスは魔女ベアトリーチェとして別の存在になったと自覚します。
想像上の友人が魔女ベアトリーチェとして去るという想像を行った結果、紗音という自分自身にこれまでいた想像上の友人が失われるという寂しさが発生しました。そしてそれを埋めるために新たに「嘉音」という弟のような使用人を想像上に作り、成長していきます。
その数年後、嘉音は朱志香からの好意を受け、紗音は解決できなくなった戦人への恋心をベアトリーチェに預けることとなりました。

Q.クレルとはどのような存在?
A.「ベアトリーチェのゲーム盤」そのものを擬人化して幻想世界のキャラクターとして描写されたものがクレルです。
クレルの外見は、ベアトリーチェの肖像画が飾られる前に行ったヤスの六軒島の怪談を元に想像して産まれた最初のベアトリーチェの外見を模しています。

Q.ヤスが魔女になってからの2年間に何があったのか?
A.子供が作れない体であり、自身に金蔵の血が流れていることを南條から知らされた彼女は譲治との恋に関しての不安に襲われます。また、嘉音としての生活をしている時に朱志香から好意を寄せられ、そのことをどう受け止めて良いのかという問題を抱えます。
そしてその後、恋の成就の為にベアトリーチェを頼った(=社の霊鏡の破壊)ことで譲治との恋仲を進展させる決意を得ますが、譲治との仲が進展して彼が結婚について語るようになると、自身の子供が出来ない金蔵の血が流れる体という問題と、朱志香が嘉音に好意を寄せることを嬉しく感じる自分がいるという事態を抱えた状況で、譲治の婚約に対しての身の振り方を選択しなければいけない苦しみに悩みます。
その状況にさらに戦人が6年ぶりに帰ってくるという話を知り、自分がどうするべきなのかの決断が完全に出来なくなります。
恋心をどうするべきなのか、自分は生きるべきなのか死ぬべきなのか、親族を殺すべきなのか殺さぬべきなのかという問題を碑文殺人事件の結果というルーレットに委ねた彼女は、碑文殺人事件のための計画と準備を開始します。
使用人を味方につけ、様々なトリックを考えてシナリオを作り、爆弾の威力を確かめる為の社の爆破を行います。
碑文殺人事件を絶対の決意で計画し、無限の物語をメッセージボトルの物語の形で生み出した彼女は、幻想の世界で自身が魔女であることを上位世界の魔女ラムダデルタに認めさせました。

Q.金蔵の大往生のシーンがEP5と異なる理由は?
A.EP7で語られた金蔵が安田紗代を理御と呼んで大往生するのシーンが事実です。
EP5で描かれたのは、安田紗代が紗音としての生活を維持したいと願ったために金蔵の死と当主の相続を蔵臼と夏妃に隠しておくことを選択したことで、使用人と南條が蔵臼と夏妃に対しての芝居を行ったシーンです。

Q.「幻は幻に。……黄金の真実が幻の錠を閉ざす」黄金の真実とは?
A.黄金の真実とは、共犯者の口裏合わせによって作られ、皆に認められた真実のことです。
真実として認められた事象は、例えそれが絶対の真実でなくてもベアトリーチェのゲーム盤の上ではそれが事実であるかのように描写されます。
これは、黄金の真実という概念がそれ程までに重大であり、黄金の真実の理解こそが六軒島事件に関わるものの救いに繋がるということを意味しています。

Q.お茶会で描かれた次男夫婦による殺人の真相は?
A.それは現実の1986年10月4日~5日に起きた事実であると考えられます。
幻想世界で縁寿は「ベルンカステルの駒になる対価として事件の真相を知ることを願った」結果の真実をベルンカステルに見せられ、それに耐えられなかった縁寿は幻想世界での死を迎えます。
このことは現実世界では、家族の生還を諦めた縁寿が世間で噂されてい次男夫婦犯人説が真実だと推測して絶望してしまい、ビルから飛び降りて死んでしまったことに対応しています。

Q.ベルンカステルはベアトリーチェの領地である1986年10月5日~10月6日の六軒島の真実は観測できなかったのでは?
A.ベアトリーチェの領地を擬人化したクレルをウィルによって葬ったことにより、ベルンカステルはベアトリーチェの領地が見せる魔女の世界でなく、2日間の事実を観測できるようになったと考えられます。

Q.クレルのはらわたで描写されたシーンの真実は?
A.そこで描写されたのは、自身が子供の産めない体であることを知らされ絶望したこと、金蔵が兵士の死体を弔っていないのを発見したことで彼が黄金を殺し合いの果てに得たことを理解したこと、金蔵とベアトリーチェ2世の子が自分自身であることを示すシーンです。
これは、安田紗代の執筆した自身の罪の告発の物語である「Confession」に書かれていた内容の内、10月6日に六軒島を脱出する戦人に対して言い出すことの出来なかった内容の部分に対応した事実であると考えられます。

Q.ウィルの二十の楔がベルンカステルに通用しなかった理由は?
A.ベルンカステルの見せた事実は解けるように作られたミステリーの物語ではなく、事実そのものだからです。

Q.このエピソードと現実世界の関係は?
A.EP7はフェザリーヌが「答え合わせ」と表現するもので、これは現実世界では八城十八の中の右代宮戦人の記憶と「Confession」の情報を元に、ベアトリーチェの碑文殺人が起きる原因となった事実、及びメッセージボトルと偽書に書かれたベアトリーチェの4つのゲームの真相を示すことでベアトリーチェの葬儀の物語として作られた偽書であると考えられます。
また、ベルンカステルの力によって見せたカケラの回想シーンや、理御のシーンは全てカケラの海に平行世界のように存在する事実であると解釈できます。