「うみねこのなく頃に」のEP6の謎を一問一答方式で書いていきます。
(EP全体に関しての話のこちらの記事と合わせてお楽しみ下さい)

書籍「最終考察うみねこのなく頃に散」の「偽書作家テスト」を改変したものに加え、その他気になる点について書いていく予定です。
もし「こんなことが聞きたい」というような質問がありましたら、気軽にコメント欄に書き込んで下さい。

尚、この内容はあくまで「うみねこの読み方のひとつ」であることを予め宣言しておきます。

※6/18更新
■EP共通
Q.ベアトのゲームのミステリーの真犯人は?

A.犯人は「紗音、嘉音と同一の肉体を持つベアトリーチェという名の人物」です。
共通の共犯者である源次、熊沢、南條に加え、EP毎に異なる人物を買収し、共犯者としています。


■EP6について

Q.この事件の共犯者は?
ヱリカ以外の全員です。EP5と違って親族同士の陥れ合いや殺害の意図はなく、純粋にヱリカを騙す遊びといった趣の狂言殺人劇として計画が用意されました。

Q.各所で発見される死体・恋の試練の6人殺しの犯人と方法は?
A.全てヱリカに見せるためだけの偽装死体でしたが、ヱリカが検死をする時に実際に殺害を行いました。
ただし戦人は敢えて殺さずに泳がせることで、ロジックエラーの発生を狙われました。

Q.ゼパルとフルフルによる恋の試練と決闘が描かれた意味は?
A.真犯人ベアトリーチェの動機の一つである、「一つの肉体の中の複数の恋心の整理」が幻想世界で表現されたものです。
自分だけでは誰が結ばれるべきたったのかを決められなかったベアトリーチェが、碑文殺人というルーレットの結果に従い決断をすることに「試練」や「決闘」の意味があったということなのでしょう。

Q.回想シーンで戦人が女性の好みを語った相手は誰?
A.紗音です。そのやりとりが元になって、肖像画のベアトリーチェのようになりたいという願望が紗音の中に生まれたことを意味しています。

Q.「お母様」の正体と、彼女がベアトリーチェに恋心を託した理由は?
A.雛ベアトの語る「お母様」は、自身の内面にベアトリーチェと言う存在を生み出した過去の紗音のことを示しています。
紗音は約束をしたにも関わらず帰ってこない戦人を待ち続けることが出来なくなり、その気持ちに潰されないようにするために、自身の気持ちを引き受けるベアトリーチェという人格を自身の内面に作り出すという想像をすることで現実に耐える、という選択をしました。

Q.紗音と嘉音はどのような存在?
A.現実世界では紗音の想像上の弟のような存在が嘉音で、紗音は嘉音の格好をして生活をすることで自身の寂しさなどのストレスに対処していました。
そして碑文殺人計画では、紗音と嘉音を演じ分けることで謎を演出するというトリックが用意されており、それがベアトリーチェのゲーム盤に反映されたことで、紗音と嘉音はそれぞれ独立した人格を持つ人間(ただし嘉音は周囲の人物が存在を認めた場面にのみ登場できる制限がある)として物語に描写されます。

Q.いとこ部屋にいたはずの嘉音が脱出した方法は?
A.まず、いとこ部屋にいたはずの嘉音と言う存在自体がいとこ部屋の他の人の口裏合わせによって生まれた幻想です。
戦人救出の為に行動を起こしたのは隣部屋の紗音で、彼女が隣部屋の窓から脱出しました。これにより紗音の肉体が窓の外に存在するため、窓の外で嘉音としての行動が可能となります。そのようにして嘉音は戦人の閉じ込められている客室に向かいます。
嘉音が脱出した後は隣部屋に嘉音がいるという口裏合わせをする必要がなくなるので、嘉音がいるという口裏合わせをやめたことが隣部屋にいる人物が嘉音の消失を目撃したというシーンとして描写されます。

Q.嘉音がチェーンで閉ざされた客室から戦人を助け出し、消失する方法は?
A.上記の方法で隣部屋から脱出できた嘉音は客室にそのまま入り、戦人を救出します。
そしてクローゼットに入り、紗音またはベアトリーチェとしての行動を開始します(行動と言っても隠れたまま動かずにいるだけですが)。
嘉音と紗音とベアトリーチェは肉体を同一とするため同時に存在できないので、クローゼットの中に隠れているのが嘉音でないならば、クローゼットの中に嘉音は存在しない、という状況となります。

Q.ヱリカがクローゼットの扉を開けても誰もいなかったのはどういうこと?(6/18追加)
A.ヱリカはゲーム盤の物語の中でクローゼットの中を確認したわけではありません。
メタ世界で出題された「嘉音はどこにいるのか?」という問題への回答としてクローゼットの中を指定した結果描写されたのがクローゼットを開けるシーンで、嘉音がクローゼットの中にいなかったという結果をクローゼットの中に誰もいなかったという形で表現されたということです。。


Q.「18人目の人間」「17人だ」。ヱリカ退場時、2つの赤字が並び立った理由は?
A.「18人目の人間」と名乗ったヱリカは紗音と嘉音を別の人間の名前、ベアトリーチェを魔女の名前という認識で島に存在する人間を名前ごとに数え、その数え方で18人目の人間という赤字を宣言しました。
一方、戦人は紗音、嘉音、ベアトリーチェの持つ同一の肉体を1人として数えるという肉体の人数の数え方で17人と言う赤字を宣言しました。
それぞれの宣言は明言されなかった定義に基づいた真実となるので、2つの赤字が並び立つ結果となります。

Q.赤字で宣言される言葉の定義がそれぞれ違うとか混乱しないの?
A.赤字で宣言される言葉の定義は、発言者と聞き手の認識によって決定され、お互いにその定義だと確認しても否定しあわないレベルで定義の共有がなされていると考えられます(そうでないと定義の食い違いによっていくらでも定義不明の赤字を宣言されてしまうし、「それを認める」という「それ」の定義を明示しないやりとりが無意味になるので)
また、その定義の共有と真実性の確かさの保証はゲームの後見人であるラムダデルタが行っていると考えることができます。

Q.このエピソードと現実世界の関係は?
A.このエピソードは、全てを理解して無限の魔術師の称号を得た「バトラ」によって、EP5で死んでしまったベアトリーチェに贈る、紗音、嘉音、ベアトリーチェの恋が全て黄金郷で叶うという救いのある物語として作られました。
そのシナリオは現実世界では八城十八によって執筆された「Dawn」の偽書を反映しており、八城十八がこの偽書を書いた目的は「六軒島の魔女幻想にもこのようなハッピーエンドが真実の一つとして存在できる」という思いを伝えることにありました。
そしてそれは幾子の元でその偽書を読んだ縁寿にも伝わり、完全に心の空白を埋めるまでには至らずとも、六軒島の事件に対しての一つの見方というものを与えました。

Q.このエピソードの縁寿の物語はどういう流れ?
A.このエピソードの縁寿はEP4とは別のカケラのもので、縁寿の人生の可能性の一つとして存在するものと考えられます。その内容としては「もしEP4の縁寿が六軒島に行く前に八城十八との面会が叶ったら」というifの人生の物語となっています。
そしてフェザリーヌの巫女として物語を朗読するシーンは、「縁寿が偽書作家八城十八に会いに行き、幾子に偽書を読ませられる」という現実世界の物語から生まれた幻想世界の物語として解釈できます。
幻想世界のメタ縁寿はフェザリーヌの為にEP5以前のゲームも振り返りながらEP6のゲームを朗読します。フェザリーヌはその褒美として、縁寿に新たな物語を執筆することを考え、また縁寿に対して将来物語を執筆することを薦めます。
このフェザリーヌの褒美として執筆する縁寿のための物語はEP8の物語であると考えられます。

Q.フェザリーヌって何者?
A.端的に言うと、「ひぐらし」の世界を物語として書き上げた神様のような存在です。「ひぐらし」を書いた後に眠りについた彼女は、ベアトリーチェのゲーム盤を見つけたベルンカステルの報告によって眠りを覚まし、「ベアトリーチェの物語」の観劇を始めます。
フェザリーヌは「ベアトリーチェのゲーム」や「縁寿の人生」を我々と同じように物語として観劇することが出来る階層に位置し、さらに時にはそれらを物語として執筆して新たに作り上げることすら可能です。
EP6で縁寿を巫女として行わせていたことが意味することは、偽書に書かれた物語を観劇の魔女の階層から「朗読」したものが「ベアトリーチェのゲーム」となる、ということだと解釈すれば良いでしょう。

Q.幾子がフェザリーヌなの?フェザリーヌが幾子なの?
A.フェザリーヌは自身と立ち位置が似ている現実世界の幾子を幻想的に解釈することで、自分自身が物語に登場して行動するという観劇を実現させたと考えることができます。
(リアルの話に例えると、自分に似ている登場人物が現れる漫画を、自分の分身が活躍する漫画であるかのように強く感情移入して読む、ということに似ています)
なのでニンゲンの世界での幾子はフェザリーヌではないと言える一方で、フェザリーヌが観劇する物語の幾子はフェザリーヌでもあるという関係になっていると言えるでしょう。